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“大正生まれ”の女性が戦争を知らない世代に綴った“遺言”
知っていますか? 私たちの祖父母、父母が体験した70年前の日本日本人が決して忘れてはいけない記憶、語り継ぐべき歴史がここにソ連兵や現地人による略奪・殺人・拉致、強姦、そして極寒・飢餓…「神風よ、なぜ吹いてくれなかったの………」戦争に負けたが故に、生きられる者も助からず、いつまでこんな戦禍の後遺症を背負って生きて行かなければならないのでしょうか。その宿命はあまりに重すぎます。神風よ、いずこに——嘘でもいいから吹いてきて欲しかった。稲毛 幸子 著 2014.08.15 発行 ISBN 978-4-89295-984-4 C0021 四六並製 216ページはじめにあの忌まわしい戦争が終わって、いつの間にか七十年近くの歳月が過ぎてしまいました。私は、満州(現中国東北部)で終戦を迎え、一年あまりの間、この地で敗戦後を生き抜いてきました。あの時に体験した悲劇は、断片的ではありますが、今でも昨日のことのように鮮烈によみがえり、身の震えを覚えます。当時二十代前半だった私も、九十一歳になりました。いま生きている日本人のほとんどが戦争を経験していません。現代の若者の中には、日本が戦争をしたことすら知らないという人もいるそうです。時代の流れのことですから、例えば、私が当時体験したことを現代の二十代前半の娘さんに伝えても、おそらくピンとは来ないと思います。当時と今では考え方も違いますし、むしろほかの誰にもあのような体験はしてもらいたくないくらいです。それでも、戦争の恐ろしさはもちろんですが、その敗戦後に受ける痛手がどんなに悲惨なものであるか、それだけは決して風化させてはならないと考えています。もはや残り少なくなった体験者の一人として、この記憶はぜひ遺しておかなければならないと思い立ち、「遺言」のつもりで筆を執りました。平和に暮らしている現代の日本人たち、特に戦争を知らない若者たちに、少しでも当時のことを知ってもらい、戦争で亡くなった方々、つらい経験をされた方々に何らかの思いを寄せていただければ、この上ない幸いです。目 次 ——はじめに北満の北安ソ連の宣戦布告露兵がやってきた舞う注射針女露兵現る腕時計と露兵の知性婦女暴行と拉致隣家の悲劇終戦顔に味噌を塗る北安脱出新京行きの車内で大都市・新京「死の収容所」で見た風景三人の全裸の兵隊新京での新生活真田虫娘たちに命を救われる西陣織の袋帯射殺劇薬との闘い「マンマ、マンマ」母の言葉阿片との葛藤生き抜くための名案新京の冬濁酒の販売を始める新京市街戦神風よ、いずこに引き揚げ開始病院船の中で日本上陸おわりに
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